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2016/10/10

ロ短調ミサ曲(9)~ルターにおける「霊」「魂」「身体」その1

本題に戻る前に、ちょっと触れておきたいことがある。

バッハのカンタータなどの歌詞には、よく「霊」「魂」「身体」「肉」といった言葉が現れる。そもそも聖書にそのような言葉が頻繁に出てくるからだからなのだが、特に「霊」「魂」についてはどうもいまいちイメージがわかない。日本には「霊魂」とか「大和魂」という言葉があるが、「霊」と「魂」は何が違うのか。ということで、ルターが考える「霊」「魂」「身体」「肉」について調べてみた。

ルターは、まず、人間の本性をパウロの書簡(テサロニケ一5.23)にあるように「霊(Geist)」「魂(Seele)」「身体(Leip)」の3つからなるとしている。また、人間の性質を「霊」と「肉(Fleisch)」を信仰(善)と不信仰(悪)の対立関係としてとらえ、「霊」「魂」「身体」のそれぞれが「善」あるいは「悪」であり「霊」と「肉」だとしている。つまり「霊」は本性でもあり性質でもあるという二つの意味でつかわれているという実にややこしい関係だ。さらに「霊」と「霊性」、「魂」と「理性」の関係についても述べている。これだけでも訳がわからずくじけそうになってしまうが、もう少し解明してみようと思う。

以下、バッハも作曲したMagnificat(マリアの讃歌)(ルカ1.46-55)に関する訳と講解(1521年)にある記述を紹介する。(内海季秋訳 聖文舎)

まず「霊」であるが、
「霊は、人間の最高、最深、かつ最も貴い部分である。これによって人には理解しがたい、見えない、永遠なるものを把握する。短く言えば、それは信仰と神の言葉の住まいである。」

次に「魂」について、
「魂は、その本性について言えば、この霊であるが、その働きにおいて他なるものである。すなわち、からだに生命を与え、からだをとおして働くものと考えられ、そしてしばしば聖書においては、生命とおきかえられている。(中略)そして、その作用は、理解しがたいものを把握することではなくて、理性が認識し、判断しうることを把握することである。(中略)霊が、より輝かしい信仰の光に照らされて、この理性の光を支配しない限り、理性はけっして誤謬なしにはあり得ない。というのは、理性は神的な事がらに関与するには、あまりに弱いからである。聖書は、これらの二つの部分に、多くのものを帰している。すなわち知恵や知識―霊に対しては知恵、魂に対しては知識、さらにまた憎悪、愛、喜び、恐怖などである。」

最後に「身体」について、
「その働きは、魂が知り、霊が信じるところを、実行し適用することである。」(引用終わり)

なお、「Geist」も「Seele」は歌詞対訳ではしばしば「心」と訳されているようだ。「魂は、その本性について言えば、この霊であるが、」とあるので、「身体」との対比で言えば、どちらも「心」ということになるのであろうが、「その働きにおいて他なるものである。」ともあるので、訳詞だけ読むのではなく、ドイツ語も合わせて読まないと、「心」が「霊(Geist)」のことを言っているのか、「魂(Seele)」のことを言っているのか判別できず、歌詞の意味を正しく認識することができないのではないか。

このルターの説明の中で、私が印象に残ったのは、「魂」に関する「霊が、より輝かしい信仰の光に照らされて、この理性の光を支配しない限り、理性はけっして誤謬なしにはあり得ない。というのは、理性は神的な事がらに関与するには、あまりに弱いからである。」という部分である。なぜならば、これこそがバッハのカンタータの主たる目的だと思ったからである。つまり、「神のみ言葉」である聖書があり、その解説としての説教があり、それに音楽を付けたものがカンタータ、とするならば、「神のみ言葉」によって「霊」を強め、「理性の光を支配」することを助け、その誤謬なき理性が認識、判断したことを「魂」が把握し、からだに生命を与え、からだをとおして働く、という一連の働きに寄与することこそが、カンタータの本質であるといえないであろうか。(続く)

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