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2016/10/16

ロ短調ミサ曲(11)~ルターにおける「霊」「魂」「身体」その3

(2016年10月17日 加筆)

一方、ユダについて、ルターは「七つの悔改めの詩編」第七(詩編第143編)の「なぜなら、敵は私の魂を迫害し、」(第3節)の講解において、次のように述べている(訳は、前述したものと同様)。

「私の敵というのは、その知恵と義によって絶えず私に逆らう者たちである。(中略)そしてキリストにはユダがいるとおりである。ユダ、それは自分の魂に対し、特に魂に関する事柄に対し、つまり真実と義に対して逆らう者である。高慢な者たちは、自分の行いと義が無意味であることを受け入れようとしない。だから彼らは、神の真実と義によってのみ生きる、まさしく義しい人たちを迫害するのである。」(引用終わり)

いまいちよくわからないのだが、ここでは、「霊」という言葉は登場しない。「自分の行いと義」というのは、「魂」の領域であり、「自分の行いと義が無意味であることを受け入れ、神の真実と義によってのみ生きる」というのが「霊」に神のみ言葉がすみついた「魂」の状態であり、ユダはそうではなかった、ということなのか???

また、詩編第2回講義の第三編の講解においてこういうことも言っている(訳は、前述したものと同様)。

「ユダはアヒトフェルと同様に、一隊の兵卒と下役どもを引き連れて、武器を持ってやってきた。またユダは、アヒトフェルと同様に、自分の良心の家に下り、絶望し、首を吊って自殺した。」 (引用終わり)

ここでは、「自分の良心の家に下り、絶望し」というところに注目したい。「自分の良心の家に下り」というのは、ユダが後悔し銀貨を返そうとし、「罪を犯しました」といったことを指しているのだろう。しかし、司長や長老たちからは拒絶され、絶望し、自ら命を絶った。「絶望し」という言葉は、ルターがユダの自殺について述べるときにしばしば見られる。

さらに、次のように述べる。

「じっさい苦しむ者を激しく悩ます三つのもの、すなわち、孤立、無力、絶望がある。これらを、敵対者の三つのもの、すなわち数、力、自信が増し、強める。」 (引用終わり)

この部分は、十字架につけられたイエス・キリストの状況を示し、「敵対者」はユダであり、それを利用しようとしたユダヤの民である。イエスの「孤立、無力、絶望」に対し、敵対者たちの「数、力、自信」を対比させている。しかし、それだけではない。ユダもまた、「私は罪を犯しました」といって悔改めた後に「孤立、無力、絶望」に陥るという皮肉な状況になったことをあらわしている。ユダを利用した司長や長老が、今度は「我々の知ったことではない。」といってユダを見放すのである。福音書のユダの話は結局「孤立、無力、絶望」、そして「死」で終わってしまっている。先に述べたアウグスブルク信仰告白弁証第12条でいうところの「痛悔」を行った状態にとどまっているというのと同じことであろうか。

ちなみに、「良心」については、ルターはこんなことを述べている。

「絶望、霊的悲しみ、動揺した良心の混乱も、本来第一には、罪の多さや大きさから生じて来るのはなく、むしろ罪を恐れて、良いはたらき、義、救いの多さを愚かに追及する心の動きから生じている。」

「良心は(誤った考えによって)、罪がはたらきによって克服されえたし、また克服されうるとみなすからである。神の憐みを仰ぎ見るべきことを知らない者が、はたらきを見出さないとき、彼は絶望せざるをえない。」

さらに、死に臨んでいる不敬虔な者の、また神の裁きへ急いでいる者の不幸な良心は、「ああ、わたし、哀れな者よ。わたしは今までに多くの良いことをしておけばよかった。潔白に留まっていればよかった」という最大の愚かと不敬虔に満ちた言葉を口にするというようなことも言っている。(以上 第二回詩編講義 竹原創一訳 LITHON)

ここでは、ユダのこととはどこにも書いていないが、「自分の良心の家に下り、絶望し」とルターがユダについて言っているのはそういうことなのだろう。ユダの良心は、銀貨を返して「私は罪を犯しました」ということによって罪を克服できた」と思い込み、神の憐みを仰ぎ見ることがなかったが、結局、それによっては罪を克服できないと知った時に、絶望し、死に向かった、というように考えることができるのではないか。

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