ロ短調ミサ曲(5)~相変わらず脱線、詩篇における「eleison」
相変わらず脱線したまま戻れず。
コラールと言えば詩篇。詩篇と言えば神への祈り、嘆願の見本市のようなもの。我々が祈るときも手本にすべきもの。これを読めば「Kyrie eleison」 というのがどういう祈りなのかを知るうえでのヒントになるはず。なお、ルターは、詩篇について神への祈りと賛美以外の何物でもない。そして、私たちがなすべきことの方法も実行も与えてくれるというような趣旨のことを第2回詩編講義の序文(献呈文)で述べている。
ということで、今回は、詩篇に出てくる「eleison」について調べた。
「eleison」はギリシャ語であるが、実際のつづりは「ἐλέησόν」。たとえば、「ἐλέησόν με, κύριε,」であれば、「わたしを憐れんでください、主よ」といったところか。
一方、これに対応するラテン語は「miserere」。これはミサ曲にもたびたび現れる言葉。
ギリシャ語版で「eleison」、ラテン語版で「miserere」が登場する詩篇は以下の通り。(漏れはご容赦)
6.3, 9.14, 25.16, 26.11, 27.7, 31.10, 41.5/11, 51.3, 56.2, 57.2, 86.3/16, 119.29/58/132, 123.3
(番号は新共同訳のもの)
このうち、6と51はいわゆる「悔い改めの詩篇」といわれるもの。
この他にも「憐れみ」という言葉も多数登場。
ちなみに、新共同訳の詩篇では「憐れんで」が22件、「憐れみ」が25件あります。この数は新旧聖書の中でも際立って多い。さすが祈りのお手本!!(続く)
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