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2016/09/22

ロ短調ミサ曲(6)~まだ脱線、ルター訳聖書における「eleison」その1

λησν(eleison)」はラテン語では「miserere」。

例えば、詩篇6.3章第3節は

ギリシャ語では、「λησν με, κριε

ラテン語では、「miserere mei Domine」(ウルガダ)

新共同訳では、「主よ、憐れんでください」

ドイツ語では、BWV721のタイトルでもある「Erbarm dich mein, oHerre Gott」あたりか(これ自体は第51章から来ているようであるが)。

当然ルター訳聖書もそうなっているだろうと思いきや、何と

HERR sey mir gnedig」(現代ルター訳聖書では「HERR, sei mir gnädig」)となっている。(51章は、「GOtt sey mir gnedig」である。)

日本語に訳せば、「主よ、私に恵み深くあってください」(俊野文雄訳徳善義和改訂「七つの悔改めの詩編(改訂版)1525 LITHON」ということになる。51章をはじめとする他の章や旧約聖書の一部では、この訳になっている。 また、「misericordia」は「Gnade」と訳されている。「神の恵み」であろうか。

一方、新約聖書のルター訳は、「Erbarm dich」系。「HERR sey mir gnedig」ではない。また、ルター派で歌われるコラールの歌詞も大部分は「Erbarm dich」系。

なぜ、ルターは、詩篇、そして旧約聖書においてこのように訳したのであろうか?

そこに、ルターのドイツ語翻訳へのこだわり、単なる翻訳、言語学的な厳密さではなくドイツ語でドイツ人に神のみことばの意味を伝えることを重視する姿勢がみられるようだ。

余談であるが、ルターは、聖書のドイツ語訳のみならず、様々な聖書釈義のようなものを書いているのであるが、その際には、ドイツ語のこともあればラテン語のこともある。また、両方の版が存在する場合もある。同じ詩編であっても、日本語に翻訳する場合、原文がラテン語かドイツ語かで異なるようだ。例えば、詩編6.3については、ラテン語で書かれた「第2回詩編講義(1519)」の「Miserere mei domine,」から訳すと「憐れんでください、主よ」となるし、ドイツ語で書かれた「七つの悔改めの詩編(1517/1525)」の「HERR ich mir gncbig,」から訳すと「恵み深くあってください、主よ」となる。

なお、一般的に日本語訳の底本として使われているルターの原文(ワイマール版ルター全集)は、以下のウェブサイトで見ることができる。以前なら考えられないことだが、インターネットのおかげで誰でも簡単に見られるようになったことは驚くべきことだ。

http://www.maartenluther.com/weimarausgabe.html

具体的には次回に続く。

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