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2012/05/06

ヨハネに悩める1

ずいぶん長い間ご無沙汰してしまいました。最近はコンサートに行くことも少なくなり、また、感想を書くのも億劫になり。。。書こう書こうと思いつつ、頭の中でアイデアをまとめるものの、いざPCに向かうと。書くことが少なくなると、書く力もどんどん落ちて行って、ますます書けなくなる。こういう悪循環です。

最近は、9月に予定されているヨハネ受難曲出演に向け、聖書の勉強をする毎日です。

実は、3月にはマタイ受難曲を演奏したのですが、公私ともにあまりにいろいろあって、十分に勉強できないまま本番を迎えてしまった。今回こそはとそのリベンジに燃えているといえば聞こえがいいですが。

ヨハネ受難曲の歌詞を読んでいて、考えれば考えるほど、そして、バッハに関する書籍を読めば読むほど悩みが深くなります。ヨハネ受難曲の全貌を知ろうとすればするほど、何も見えなくなってしまいます。特に、数の象徴とか、修辞法とか、音楽学者が書いているような本は、読んでもさっぱり頭に入りませんし、読んだからといって、ではどのように演奏に反映させればよいか、ということについては答えを与えてくれるわけではありません。例えば、「十字架音型」だとわかったとして、そうとわかるように強調して演奏しろというのでしょうか?「三位一体を表す」といわれても、三位一体とわかる弾き方ってあるんでしょうか?神の弾き方、子の弾き方、聖霊の弾き方というのがあるんでしょうか?

ある解説本は、あたかも、歌詞である聖書そのもののの言葉や説教、賛美歌の歌詞として書かれている以上の意味をバッハは音楽で表現しているがごとき説明をしています。それを楽譜から読み取るために数の象徴や修辞法の観点で分析することが必要なのだといわんばかりです。しかし、「聖書のみ」にこだわるルター派の教会音楽において、たとえバッハであっても、聖書、説教、賛美歌を超えた意味を何か加えるということが果たしてあるのでしょうか?

バッハの個人的な思いはともかく、聖金曜日の礼拝において演奏されたヨハネ受難曲の目的とはなんなのでしょう?会衆に何を伝えようとしたのでしょう?バッハの考えていることのすべてが会衆に伝わることを目指していたのでしょうか?会衆に伝わるべきことと個人的な信仰心をどのように音楽に込めるかということは区別して考えるべきなのでしょうか?

そんなことを考えながら、とりあえず、聖書とBCJのプログラムにあった杉山好先生のヨハネ受難曲の歌詞対訳、そして、関係するルターの著作を読んで、感じたことをしばらく書いていこうと思います。

あくまで素人のたわごとですので、音楽学の観点からもキリスト教の観点からも問題は多々あると思いますが、ご容赦ください。(つづく)

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