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2012/05/26

ヨハネに悩める9~第4,5曲ペテロ耳そぎ事件

第1曲で大分もたついてしまいましたが、気を取り直して先に進みましょう。

第4,5曲は、いわゆる「ペテロ耳そぎ事件」の場面です。剣を抜いて大祭司の下僕に切り付け右の耳を斬りおとしたという事件です。この話と第5曲のコラールが何の関係があるのか、実はよくわかりませんでした。しかし、ルターの解説を読んでなんとなくわかったことは、この2曲に共通するテーマは、忍耐であり、神の御心への服従・従順だということです。ペテロの行いは、正義から出たものではあるものの、神の御心にはそっていない。神の命令がないのに勝手にやったことがよくない。それに対し、イエスが(自ら)十字架につけられようとしていることは、まさに神の命令によるものであり、それに服従ということを「父が私に下さったこの杯をどうしてのみほさずにすまされようか」と表現しているということのようです。

さて、第5曲のコラールですが、これはルターが作詞した「天にまします父よ」といういわゆる「主の祈り」のコラール第4節です。厳密に言えば、本来の主の祈りであるマタイ6.89-13(いわゆる山上の説教の場面)のルター流解説(教理問答)によるコラールといった方が良いかもしれません。クラヴィーア練習曲集第3集の中に「教理問答コラール」と呼ばれるコラールのかたまりがありますが、この中の「主の祈り」の部分と同じものです。

大教理問答集(福山四郎訳、聖文社)には、祈りの目的についてこんなことが書いてありました。

「私たちの請い求めることや、その目的は、神の要求によるもの、また神への従順からなされるとみるべきものであり、祈りは自分のゆえには無価値であるが、神が命じたもうたゆえにこそ価値があるのだ」

ということで第4節の歌詞を見ると、本来の主の祈りよりもずいぶん言葉が多いです。

「父よ、悪魔や私たちの敵の意志ではなく、またあなたの聖なる御言を迫害圧迫し、あるいはあなたの御国を妨害する者どもの意志でなく、あなたの御こころをなさせたまえ。また、そのために、私たちの忍ぶべきものがなんでありましょうとも、すべてを忍耐もて堪え、克服しえますように、こうして私たちの貧しい肉が弱さや怠慢から克服し、倒れさることのないように力を与えたまえ」

と絶えず祈り求めることがきわめて肝要だということです。

これを読むと、第4節の歌詞と似ていることがわかります。

一方、ルターの「山上の説教」の説教にも、主の祈りについて触れた部分があります。そこでは、マタイ26.52でペテロがこの耳そぎ事件について諌められる部分が紹介されています。

ということで、ルターの中では、ペテロ耳そぎ事件と「主の祈り」が結びついていることがわかりました。ここにこのコラールが来るにはちゃんと理由があったのです!

このコラールを演奏する上では、そんな説明を脳裏に浮かべながら演奏する、というのは言うが易く行うは難しいです。(つづく)

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