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2008/10/03

孤児院ミサ演奏にあたっての所信表明

実は、10月5日(日)に津田ホールで本番に出ます。

http://homepage3.nifty.com/ClassicalSingers/

そこで、Mozart奇跡の12歳の作品といわれる「孤児院ミサKV.139」を演奏します。ちなみにこの前の番号はKV.136-138の有名な弦楽ディヴェルティメント。これらは確かに名曲ではありますが、さほど複雑な曲ではない。しかし、このミサははるかに複雑で深い。とても12歳とは思えません。

高円寺での師匠との演奏会から1ヶ月しか間がないので、正直かなり苦しいですが、その分、楽譜や歌詞の読みこみをして、イメージトレーニングをしました。読めば読むほど色々面白い曲だなということがわかってきて、演奏のアイデアも浮かんできました(実現できるかは別として)。そこで、思いついた内容を最近流行の「所信表明」として残しておきたいと思います。

第一部 Kyrie

冒頭のハ短調。まるで絶望の深き淵から神に向かって救いを求めて叫んでいるよう。Vnの8分音符の下降音形は、深き淵の底に落ちていく姿にも思える。しかし、神の姿を見ることで絶望から希望へ。

第二部 Gloria

Vnの激しい上行下行は何を表しているのだろうか?14小節目からは、地に平和、希望の光=神の威光が地球上を照らし、明るくなる、そんな光が広く照らすイメージをVnが形成している。

Gratias 大聖堂で神に感謝を捧げる儀式が厳かに始まる。しかし、なぜかあちらこちらにわけのわからない転調、はたしてどこに行くのか・・・。(謎)

Qui tollis 私たちの大きな罪を悔い、神に憐れみを求める悲痛な叫び、祈り。

Quonium イエス・キリストに対する信頼と賛美。

Cum Sancto Spiritu 伝統的な対位法による曲。三位一体の神を讃える。

第三部 Credo

神の子であるイエス・キリストが罪をあがなうためにこの世に遣わされ、十字架にかけられ、そして死に勝利して復活し、我々を罪から解放したということを堅く信じる。イエス・キリストの降誕から受難、復活を音楽的にも追う。

最初は、神の子としてこの世に遣わされる、つまり降誕の場面。下降音形は、降誕を表しているのではないか。下降音形が弦楽器によって繰り返されるが、実は少しずつ音が上昇している。つまり、この地に下りながらも栄光に向けて高まっていくという全く逆の動きが見られる。そのことを特に1st Vnがどう表現できるか。descendit(降りる)がまさに下降音形になっている。

Et incarnatus ゆりかごの上で、幼子がすやすやと眠っている。

Crucifixus 死のファンファーレ、死刑執行の合図がトランペットによりなされる。そして十字架にかけられ、受難し葬られた。すべてが終わり、絶望の淵に落とされる。「神よ、なぜ私をお見捨てになった?」 かに思われたそのとき・・・。

天からイエス・キリストの復活、勝利が天使(ソプラノ)によって高らかに宣言された。そしてラッパも太鼓も勝利の雄たけびを上げ、祝福する。この曲は、基本が上行音形。ascendit(上る)が上行音形。「mortuos(死者)」というところでは急に暗くなる。「judicare(裁く)」と「remissionem(赦す)」は、そこだけ他の部分と全く異なり合唱の各パートが順番出でてくる書き方。どうやら対になっているよう。弾き方も当然その意味に合わせる。「赦す」というのは神の慈しみであり恩寵。慈しみにはそれにふさわしい表現があると思う。「resurrectionem(復活)」は、勝利して天に昇ることを表しているのか、これも上行音形。最後のAmenは、「イエスの王国には終りがない」ということを表すのか、祈りがずっと続くということなのか、信仰がずっと続くということなのか、いつまでたっても終りが見えない対位法。典型的な音楽修辞法。アリアやアンサンブル曲は少々わかりにくいですが、合唱曲は、非常にわかりやすく、感情も込めやすい。Vnにとって鬼門の早い音形が何度も繰り返し出てきますが、これは、どんな時でも揺るがない一貫した堅き信仰でも象徴しているのでしょうか?

第四部 Sanctus

偉大な神への賛美を高らかに歌う。

第5部 Agnus Dei このあたりはごく普通のAgnus Deiと同じよう

Dona nobis pacem 割合と活発な曲。もっと穏やかな曲も多いけど。穏やかな平和というより、元気よく

と、こんな感じでしょうか。どうも合唱曲中心に物事を考えているせいか、アリアとかソロアンサンブルの曲のイメージがわかない。。

それにしても、さほどややこしくないのではありますが、12歳が音楽修辞法をマスターしているなんて、いまさらながらすごいと思います。

正直言って、Vnは、合唱にぴったり沿うわけでもなく、独立したパートでもない。この時代の合唱曲の多くにおいては、いわば合唱パートのディミニューション(分割装飾)を担当している。だからえらく難しい。この時代になっても、まだバロック初期の伝統がしっかりと生きているというのは驚くべきことです。早くて細かい音符にまどわされることなく、合唱に沿って弾いていきたい。

果たして5日はどうなるか。

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