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2008/01/20

ピリオド奏法について考える(6)~日本における受容

わが国において、いわゆるピリオド奏法というのはいつごろからどのように発展してきたのか、古楽業界にどっぷり使ってきた私ですらよくわかりませんが、著名音楽大学において普通のヴァイオリン科の学生がバロックボウで弾き始めたのは、恐らく1999年春頃、今井信子さんが桐朋の学生にバロックボウを持たせ、カザルスホールで演奏した頃ではないかと思います。この頃の学生さんたちが、昨年、そして先日のトッパンホールでの鈴木秀美オケのメンバーにもなっています。

その前、サイトウキネンオーケストラがバロックボウを大量に買い込んだという情報が流れました。1997年のマタイ受難曲の頃ではなかったかと思います。我が国における「ピリオド奏法」のスタートまたは音楽業界における認知は、まさにこの頃と考えてよいのではないかと思います。このときには、古楽器で活躍していた人達にも協力の要請があったようです。ただし、古楽器弦奏者とモダンオケの共演そのものはその前からあって、有名なところではテレビにも流れたN響のヨハネ受難曲で、若松夏美、高田あずみ両氏が、ヴィオラ・ダ・モーレで出演しています。

この時のサイトウ・キネン・オケが厳密な意味で「ピリオド奏法」といえるかどうかは異論もあるかと思いますが、とにかく、わが国においてバロックボウというものが認知され、使われ、ノン・ヴィブラート奏法が始まったことには違いありません。その後、サイトウ・キネン・オケのメンバーを中心に、バロック音楽をバロックボウとモダン楽器で演奏するということがそんなに特別なことではなく、異端視する向きも減ってきたように思えます。

ヨーロッパでは、1980年代前半から著名なオーケストラがバロックボウは使わずにモダン楽器でピリオド奏法をやってきていますが、これに遅れること15年以上。ようやくスタートラインに。その後、在京オケでも古楽器の世界の指揮者を呼んでピリオド奏法で演奏するところが増えてきました。

さて、我が国における古楽器演奏の歴史は1960年代までさかのぼります。そして70年代前半から後半にかけて、70年代初めに留学した方々が続々と帰国されて、第1次黄金時代を築く。そして80年代半ば、85年のバッハ、ヘンデル生誕300年に前後して、現在、我が国の古楽界を支えている世代(OLCやBCJの主力メンバー)が留学から帰国し、90年頃のバブルの恩恵もあって、第2次黄金時代を迎えます。このころ、有田正宏さんの東京バッハモーツァルトオーケストラ、そしてバッハ・コレギウム・ジャパンが誕生します。そしてCDも発売、少なくとも音楽愛好家の間では古楽器演奏というものがかなり認知されてきた時代です。しかしながら、90年頃までは、音楽大学では表立って古楽器を勉強しているとはいえない風潮がまだまだ残っていたようです。実際には、1980年頃にはそれなりに興味を持っている学生はいたようです。しかし、まだそれを許す環境にはなかったようにも思えます。当時の音大生から時々そういう話を聞きました。

80年代に古楽器に転向した人達の中には、モダン楽器での著名なコンクールで優勝または上位入賞された方もいらっしゃいます。あの鈴木秀美さんも、日本音楽コンクールで優勝、寺神戸亮さんは3位で在京オケのコンマスも務める。高田あずみさんはジュネーブ国際音楽コンクール最高位。現在では日本音楽コンクール審査員にまでなっています。楽器ではありませんが、BCJでおなじみの浦野智行さんも何度か上位入賞を果たしています。また、管楽器の世界では、オーケストラの首席奏者クラスが古楽器と二束のわらじを履いていて、高い評価を受けています。弦楽器でも、都響、読響、N響、新日本フィルなどのメンバーが二束のわらじをはくことが徐々に増えてきました。そんなこともあって、恐らく、モダン界の人々も古楽器奏者たちに対しそれなりに一目置いていたのではないかとも思えます。音大でもバロックヴァイオリンを在学中から学ぶ人が増え、古楽科も出来ました。恐らく大学では昔ほど異端視されなくても済むようにようやくなってきたのかと思います。

にもかかわらず、ピリオド奏法が取り入れられたのは1997年頃。なぜこんなにも時間がかかったのでしょうか?

そして、アマオケでは、ほとんどピリオド奏法というのは取り入れられていない。一部、古い音楽をやるところでは見られるものの、極めてレアケース。だいぶ認知されてきたとはいえ、多くの人はそういう世界があることすら知らない様子。そして指揮者、指導者にもまだまだ知られていないのではないかとも思えます。私が学生の頃の風当たりはかなり強かったように記憶しています。ピリオド奏法は、技術的には決してやさしくはありません。コンクール上位入賞などといった輝かしい実績を持つ方ですら、そんなに簡単には出来ない。それに、技術面だけでなく、様々な知識も必要になります。そういうアマチュアにとっては非常にハードルが高いことも、アマオケでピリオド奏法があまり認知されない原因なのかもしれません。そんなことで、まだまだ私がやりたいようにできるアマオケは滅多にない。いまだにモダン楽器のアマチュアの人と関わるのが恐ろしいです。

ピリオド奏法のオケが増えたほうがいいのか、ピリオド楽器で演奏する人が増えた方がよいのかは一概にはいえませんが、このブログをお読みの皆様は、モダン楽器ピリオド奏法の演奏が増えることについてどう思われますでしょうか?

「考える」といいながら何も考えずに、過去の思い出に浸るばかりの今回の「ピリオド奏法を考える」でした。

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コメント

アマチュアの大部分は譜面ズラを追うだけて満足していますが、こういう人達は置いておくとして、真剣に音楽をしようと心掛けるアマチュア奏者はとにかく音の表情をビブラートでつけようとします。それをノンビブラートの持つ透明感、力強さ、自然さという長所に気付かせ、ノンビブラートは一つの強力な表現手段であると認知させるのが、まずはいいのではないかと思います。

投稿: Minatsuki | 2008/02/21 04:38

一般にはヴィブラートは何も考えずに自動的にかけなければならないもの、ノンヴィブラートは特殊な効果を求める時に使うもの、という認識かと思いますが、本来は、ノンヴィブラートが普通の状態で、ヴィブラートは特殊な効果を狙うときに考えて「装飾」として使うものというのが古楽器の世界。基本的にはボウイングで表情をつける。少なくとも19世紀まではそうだった。ボウイング技術がないとかない苦しいかもしれませんね。

ヴィブラートで音の表情をつけること自体は悪いことだとは思いませんが、ヴィブラート「だけ」というのは・・・。

投稿: AH | 2008/02/22 00:46

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