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2007/12/25

BCJメサイア2007

毎年恒例のクリスマスイブのBCJメサイア。

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今年は、いままでのような演奏バージョンの説明は一切なし。もはやヘンデル自身の上演回数を上回ってしまい、ネタが尽きたという感じなのでしょうか。ということで、いわゆる「いいとこどり」バージョンでの演奏でした。初演時(1741年)のロングバージョン(例えば第2部、第3部のバスのアリア、デュエット)を使いながらも、最終アリアはアルトのc-mollなどといった感じです。おかげで演奏時間もとても長い。

さて、こう何度も聞いていると、いちいち前回との違いなどということを考えなくなります。そのときどうだったかさえ感じ取れればいいわけで、前回との比較など、評論家にとっては意味があっても、ただの一聴衆にとってはどうでもよくなってしまいます。演奏家も前回と違う演奏をしようなんていちいち意識しているのかどうか。その時々で楽譜から読み取れること、感じ取れることを音にする。その結果として、毎回同じ曲を演奏しながらも解釈、演奏の印象が変わってくる、そんな感じではないかと思うのですが、実際のところどうなのでしょう?

ソリストに関しては、全体的に小粒の感はありましたが、無難にまとめていたような印象です。アルトは、少々ヴィブラートが多いのが気になりましたが、速い曲より遅めの曲でいい持ち味を発揮していました。ソプラノはなかなかの実力者ですが、味わいという点ではここ数年の人のほうがあったかな。それと日本人にはこういうタイプというのはいないのでしょうか?しいていえば森麻季さん?

バスのアリアといえば、島田さんがなんだかとても控えめで柔らかめに演奏していたような印象を受けました。楽器が客席側を向いていなかったせいもあるのかもしれませんが。高らかに力強く、という感じではなかったです。案外、これが今回のメサイアの大きな特徴の一つ、象徴的存在なのかもしれません。

相変わらず鈴木秀美さんの通奏低音には泣かされます。特に第3部のバスのアリアの中間部で通奏低音だけになったところなどは、精神性の深さを感じます。

最後のc-mollバージョンのアルトのアリア。c-mollと聞くだけでかつてひどいめにあったことを思い出してしまいます。とにかく弾きづらい。音程がとりづらい。音楽として嫌いではないですが、ついつい余計なことを考えてしまう。もちろん、BCJですからc-mollだからってどうということはないのですが、聞いていてひやひやしてしまうんですね。なまじっか演奏したことがあると素直に聞けない。そんな一例かと。

とりあえず、速報で書きましたが、とにかく、これといった目玉もない代わりに恒例行事としてマンネリにならずに常に一定の水準を保つ、そういうこの企画の新たな方向性、難しさを克服すべく新たな挑戦を始めた、そういう演奏だったかと思います。

これで私にとっての今年の古楽演奏会もすべて終り。

演奏家の皆さん、多くの感動をありがとうございました。

きれいなイルミネーション

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