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2007/09/08

Bach Magnificatに思ふ(3)

バッハのラテン語による宗教曲というと、「宗派を超えた」といったようなコメントがつきものです。ロ短調ミサについてもそうですが、このマニフィカートについてもいえると思います。ただ、ロ短調ミサと違って、マニフィカートはルター派の街であるライプツィッヒで実際に使われるために書かれたことは心に留めておかなければなりません。そして、BWV243aの4つのクリスマス用挿入曲の中には、ルターのコラール「高き天よりわれはきたれり」があります(挿入曲A)。もちろんドイツ語です。ラテン語の曲の中にドイツ語の曲が混じっているというのも何とも不思議ですが、このマニフィカートがルター派の伝統の中にしっかりと根付いたものであるということを示す一つの根拠といえないでもありません。

ということで、「ラテン語=カトリック」というようなことでなく、ルター派的にこのバッハのマニフィーカートを見てみたくなりました。

そこで、ルター派におけるマリア観がバッハの音楽にどのように反映しているのか、そんなことをちょっと知ってみたくて、ルターのマニフィカート講解やルターのマリア観に関する書物をいくつか読んでみました。「ルターはマリアを軽視している」「ルターはマリアを尊敬していない」という考え方も根強くあるのですが、マリアを軽視し、尊敬していないそういう教会に育ったバッハが、どうしてあんなに美しい曲を書けるのか。仕事のためということだけで書けるのか。そんな素朴な疑問を自分が演奏する前に解決しておきたい。そう思いました。

確かに、カトリック圏の作曲家に比べれば、バッハのマリアに関する作品は少ないかもしれません。「ドイツ語マニフィカート」としてルターのドイツ語訳を元に作曲されたカンタータ第10番"Meine Seel erhebt den Herren"は、1724年7月のマリアのエリザベト訪問の祝日のために書かれています。まさに、マニフィカートの歌詞がマリアによって語られたその記念日です。後にマニフィカートBWV243が演奏されたのがこの記念日といわれています。マニフィカート初稿が書かれた年の同じ記念日のためには、あの有名なカンタータ第147番も書かれています。この曲のテーマは、ルカ福音書のマニフィカート部分の直前のところ。つまり、バッハは2年がかりでマリアのエリザベト訪問の場面をカンタータにしたということ。そして、いずれもマリアを賛美、崇拝することが主目的の曲ではない。

まず、1522年版ルター訳聖書を見てみましょう。

D1000173

マニフィカートの場面です。一番上に「マリアは語り始めた・・・」とドイツ語で書いてあるのがお分かりいただけると思います。その次にでてくるのが、カンタータ第10番のタイトルにもなっているマニフィカートの最初の言葉"Meine Seel erhebt den Herren・・・"です。

などといっている間に、興味はカンタータ第10番の歌詞のほうに向かっていってしまいました。この歌詞こそ、バッハ時代のルター派教会におけるマニフィカートに関する「音楽による説教」であり、その歌詞の内容に沿った音楽がついている。バッハのマニフィカート理解を考えるにはこちらを熟読した方がいいかな、などと思ってしまったのです。アリアだけでなくレチにも注目です。とはいっても、バッハの場合同じ内容の歌詞に同じような音楽をいつもつけるとは限らないし。実際、マニフィカートの第3曲のアリアとカンタータ第10番の2番目のアリアの中間部はだいぶ違います。ただ、10番のアリアの最初は全能の神の偉大な御わざを讃える歌詞であり、そのあとに中間部でマリアのへりくだりの言葉が続く。このことは、へりくだりという言葉にまどわされず、それが本質的には神への賛美であることを心に留めておかなければならないというメッセージとは考えられないでしょうか。大事なことはへりくだりを誇るのではなく自らを卑しいものとしてただひたすら神を賛美することであるという考え方が表れているのではないかと思います。マニフィカートの第3曲は、へりくだりではありますが、それは自らを無価値なものとしてさげすみ、自らの境遇を嘆き、しかしそんな自分への神のかえりみによって幸いな女とされた、そのことに感謝し、かえりみを神の偉大な御わざとして賛美するという気持ちを素直にあらわす。

そして第4曲"Omnes generationes"をルターは"Kindskind"と訳した。カンタータ第10番でもその訳が使われている(Kindeskindというつづりになってはいますが、上の写真の通りもともとはeはありません)。つまり、神の御わざが空間的な広がりで伝わるというより、子から孫へ、代々語り継がれるという意味で解釈しています。マニフィカート第4曲は、対位法で書かれていますが、このことは、まさに代々語り継がれて広がっていくことを音楽で表していると思われます。しかも、語り継がれる間にどんどん高められていくということが、徐々に音が高くなっていくことで表されています。

だいぶ長くなってしまったので今日はこのあたりで。

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