われは満ち足りている~BCJ定演
今日は今年最初のBCJ定期演奏会。
曲は、28、183、85、175そして68番。地味な曲ながらも充実した中身の濃い曲、そして演奏で、わが心は満ち足りました。28番を除くといずれもヴィオロンチェロピッコロのオブリガートつきアリアがあるということで、この楽器のための曲をまとめて演奏したという感じでしょうか。ヴィオロンチェロピッコロパートはスパッラで演奏。そして、コンチェルト・パラティーノが共演、ソロは全員外国勢というよくよく見ると実に豪華なメンバー。楽器もツィンクにサックバット、コルノ・ダ・カッチャ、そしてオーボエ・ダ・モーレにオーボエ・ダ・カッチャとまさに「復元楽器」「復活楽器」のオンパレード。よくもこれだけ集めたな。
スパッラは前回と比べるとずいぶん音楽的な音がするようになったなという印象。全体的に速めのテンポだったこともあり、普通のチェロに比べて機動性があるように思われるスパッラのよさが出ていたような気が。以前は、奇異さがありましたが、今回は自然に音楽の中に溶け込んでいました。時にはなかなか泣かせてくれます。
さて、今回の曲の中でなんといっても注目は68番。とりわけ第2曲のアリア。今から30年近く前にこの曲をアーノンクールが演奏するのをFMで聴いて、すっかり古楽器、そしてバッハのカンタータにはまってしまったといういわく付の曲。その時は、今日と同じヴィオロンチェロピッコロ特集をやっていて、6番とか100番以前の曲を流していました。ちなみに、アーノンクールのこの録音は、去年発売されたCMW本についているCDにも収録されていて、カンタータ大全集を代表する録音となっています。それはさておき、とりわけ速いテンポで喜びを表していました。この個人的に思い入れのある、カンタータ全曲シリーズが始まってからずっとこのときを待ち続けた曲があっという間に終わってしまった。でも、満足です。
さて、この曲以外にも魅力的な演奏がたくさんあったのですが、特に印象に残るのが28番第2曲のコラールと68番の終曲の合唱、いずれも対位法の粋を集めたような曲。合唱にコンチェルトパラティーノが見事に音を重ねる。まさに一体。28番のグラーマンのコラールは、この曲以外でもたびたび使われていますが、そのアレンジの多様性は驚くばかりです。ここではモテット風の緻密な曲となっています。
そして、カンタータが始まる前のコンチェルトパラティーノ中心の演奏。これをヴェネチアの聖マルコ教会で聞いてみたいという気になりました。来週の松蔭いこうかな。
とにかく、いま、とても満ち足りた気分です(とはいってもこれで死んでしまうわけではないですが)。
さて、例によって解説、巻頭言を読んだのですが、ここでもご紹介したアーノンクール(雅明さんは「アルノンクール」という70年代のなつかしい表記を使っています。またプログラムの中のトート氏のインタビューの中では「ハルノンクール」というこれまた懐かしい表記が使われており、70年代を彷彿とさせます。あとは「ハルノンコールト」さえあれば・・・.。21世紀に生きる音楽でありながら、確実に1970年代の「熱き時代」を引き継いでいる、そこに、BCJの魅力の秘密があるのかもしれません。)との対談の続きといおうか、今回のアルノンクールの演奏から得たものについて書いておられました。雅明さんの演奏に影響を与えたかどうかはわかりませんが、少なくとも大いに刺激は受けたようです。私が下手にご紹介してしまうのも何かと思いますので、Viva!BCJに掲載されている巻頭言を是非お読みください。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~bcj/07.02.12sc75.html
アルノンクール受容の難しさ、そしてピリオド奏法という一言で安易に語られようとしているアルノンクールや雅明さんなどのアプローチの表面的な部分と本質的な部分というのをかいまみることができるのではないでしょうか。演奏する上では、理屈を越えたものがある。聞き手の立場からすれば、もちろん学ぶところは多い。しかし、心で作曲家や演奏家のメッセージを感じ、心と心を通わせることの大切さを忘れたくない。特に演奏会では。ただ、感じたこと言葉で表現するのは難しい。ですから、ここに書くことはどうしてもテクニカルなことが中心になってしまいます。勉強のためだけではこんなに続きません。
そんなで、演奏にも巻頭言にも酔いしれて帰ってきました。
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