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2006/12/23

BCJのモツレク

BCJのモツレクシリーズも終わったようで、メサイアも始まるので、薄れつつある記憶を頼りに書きます。

まず、前半のヴェスペレ。ホントに展開がめまぐるしく、しかも大胆で、歌詞を見ながら聞いていてもついていけないほど。Mozartの宗教曲の中でも異色かと。森麻季さんのソプラノが主役で輝いていましたが、それでも自分が目立てばよいということではなく、アンサンブルの一員としての立場をきちっとわきまえた演奏。細かいことはともかく、前半を聞き終わった時点でかなりKO状態。前半のこの演奏を忘れないとレクイエムを聴けないというくらい鮮烈な印象を残してくれました。完全に気持ちを切り替えるべく、休憩時間にできるだけ忘れようとしましたが、なかなか消せるものではない。それくらい内容の濃い演奏。

そして後半のレクイエム。鈴木雅明さんのレクイエム観についてはすでに書いたところですが、バッハとはまったく違う曲の書き方をしながらも、死というものの意味を十分に斟酌した上で表現していたと思います。印象的だったのは、Dies iraeの40~52小節、Confutatisの17小節以降、Lacrimosaの5小節以降。Domine Jesuの21小節以降(以前、C.Ph.E.Bachを聞いて思い出したところ)。そして最後の音。

まず、Dies iraeの40~52小節。ここは、バスが半音の上行(Gis-A)を3回繰り返すわけですが、半音でかつ繰り返すということで非常に不安定でかつ緊張感をもたらすところ(緊張感がほしいときに同じ音を繰り返すというのはバロック以降の常套手段)ですが、これをなんとPで歌わせた。バスに応えて上三声部が「Dies irae」と歌うところはとても恐れおののいた不安な表情を出すのですが、これは、その前のバスをどう歌わせるかでかなり聞こえ方が違ってくるように思えます。緊張感を出す音の繰り返しの場合、例えばPから始めてクレッシェンドする方法もあります。アーノンクールはよくそういう表現をするように思えます(今回は違いましたが)。しかし、Pは驚いた。それによって不安感のある緊張というものが表現されており、かつ、50小節3拍目で全員がそろうところの効果が抜群だった。緊張感、緊迫感を表現するのに大声はいらない、というよい例かと思います。アーノンクールはここを「パパイヤを食べたような声で」とバスに指示している模様がテレビで伝えられましたが、こだわりどころのひとつなのでしょうか?

Confutatisの17小節以降は、BCJ女声(否、一部男性も)陣の見事なハーモニー、透明感が印象的。それを支える弦楽器陣も見事。

Lacrimosaの5小節以降は、ジュスマイヤー版だと、同じ音を演奏しているのに8分の12拍子で管楽器は付点4分音符、弦は4分音符、そして合唱は8分音符という非常に変わった書き方をしています。この違いをはっきり出さないとなんだかしまりのない演奏になってしまいがちですが、合唱の歌い方を8分音符を割合と短めに歌わせ、7小節目の付点8分音符に変わるところからの表情の変化をより引き立てていました。こういう歌い方はバッハでもよくさせています(コラールですら)。

この日一番印象的だったのは、なんと言っても最後の音。これはきわめて古風でこの時代としては異例なのですが、DとAの5度しか音がない(Kyrieの最後も同様)。普通はあいだにFなり何なりが入るのに。この古風な3度のない和音をクレッシェンドして盛り上げて力強く終わらせたくなってしまうところを、逆に、音符よりも長く静かに消えいるように、そして魂が静かに天に召されていくそんなありさまを表現していたように思えます。これも、大曲の最後は派手に、そしてその後「ブラヴォー」みたいな世間の常識をまったく覆し、本来のレクイエムのありように立ち返った、透明で純度が高く静寂な響きで魂の気高さを表現していたように思えます。この最後の音(つまり魂が天に召される)にたどり着くために、それまでのすべての音が存在していたんだ、と感じざるを得ませんでした。

とこんな印象だったのですが、こんな表現は、よほど個々人のレベルが高い団体でないと指揮者の要求に応えられない。このメンバーあってこそ指揮者もやりたいことができる。とう感じがしました。また、アーノンクールもそうでしたが、宗教曲を得意とする名指揮者は、さすがに集中力とか緊張感を出す力とかが常人では到底たどりつけないくらい桁外れにすごいなと改めて思い知らされました。

さて、別の意味でとても印象的でうれしかったのは、チェロの席に鈴木秀美さんの姿が見えたこと。最近、年末の特別公演になると姿を見せないことも少なくなかった鈴木秀美さんがBachではなくMozartでも登場してくれたことに、この公演にかける意気込みのようなものを感じました。やはり秀美さんがいるだけでオケ全体が締まります。メサイアにも本当に久々に登場のようです。

とこんなところです。今年の印象に残る演奏会のひとつだったと思います。

実は、森麻季さんについてぜひ触れておきたいことがあるのですが、長くなったのでこの辺でやめておきます。

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コメント

私も満員のオペラシティーで聞きました。あの緊張感に満ちた演奏!Lacrimosaの絶筆の上昇音のクレシェンド。Lux aeterna最後のデクレッシェンド。翌日、愛聴のアーノンクールのCDを聞きましたが、なんと物足りなく感じるくらい。アーノンクールは編成が大きすぎる?考えてみればアーノンクールは四半世紀前の演奏なのですね。一週間後にもう一度聞き返してみたら、アーノンクールもやはりいい演奏でした。ということは、あの晩のBCJはいったい何だったのでしょう。

投稿: hiromi-kotake | 2007/01/02 21:39

hiromi-kotakeさん

新年早々ありがとうございました。

アーノンクールのモツレクは、昨年11月に東京で行われた演奏が年末年始連日NHK(TV,FM)で紹介されていましたが、お聞きになられましたでしょうか?25年前の録音の後、2003年に再録音されており、2004年に発売されています。その流れで今回の来日公演があったわけですが、それとの比較というのも面白いですよ。編成は確かにアーノンクールの方が倍くらい大きいですが、最近は、アンサンブルが緻密になり、全体的に演奏が滑らかになり、かつ、アーノンクールの世界により強く引き込まれているような気がします。旧録音のころは、CMWの規模が急に拡大したばかりでしたが、いまでは今回の来日メンバーでかなり固定しているので、大規模な演奏にもずいぶん慣れてきたことでしょう。また、合唱も経験を積んで来ていると思います。

アーノンクールと鈴木雅明さんは、共にかなりの集中力の持ち主であることは間違いありませんし、その音楽の緻密度においてもかなりのものですが、アーノンクールの方がそれをより徹底してわかりやすく表現していると思います。それが時には聞き手に拒否反応を起こさせることもあるのですが。また、オケや合唱もアーノンクールの方が重量級でBCJはやや軽量といおうか、より、小回りがきいて小気味良く、透明感のある演奏のような気がしました。編成の大きさもそうですが、実は楽器や奏法もかなり違います。いずれにせよ、共に、タイプは若干違うものの、聴衆の気持ちをぐっとひきつける力は抜群だなと思います。それと、生を聞いた感動と録音を聞く感動というのもたぶん微妙に違うのでは。その場の空気を感じられるというのは、生ならではです。

私は、ヘンデルのメサイアを、1ヶ月間にアーノンクールと鈴木雅明の両方の演奏で、しかも同じサントリーホールで生で体験することができました。正直、ぜんぜん種類の違う感動でした(よしあしではなく)そして、やはり生はいいな、と思いました。もちろんCDでもすばらしいと感じられることはあるのですが、生には演奏のよさにプラスしてそれとはまったく違うよさがある。そんなことかなとも思っています。

投稿: AH | 2007/01/02 23:48

案の定アーノンクールを批判したかのような印象を与えてしまったかも知れませんが、ちょっと舌足らずだったかも知れません。BCJは欧米の講演ではミニマリストとして絶賛されているそうですが、単に編成が小さいというだけでなく、あまたの古楽器グループのなかでも特筆すべきはそのアーティキュレーションにある、ということではないでしょうか。BCJのモツレクもバッハのカンタータに比べれば編成は倍くらいだったわけですが、コンセプトは健在だったのが嬉しいかぎりです。

投稿: hiromi-kotake | 2007/01/04 10:47

>案の定アーノンクールを批判したかのような印象を与えてしまったかも知れませんが、

いえいえ、そんな風には全然感じませんでしたよ。私も2団体のメサイアを続けて聞いて、今まで経験したこともないショックを受けました。それぞれの演奏にショックを受けたというよりは、その性格の違いの大きさにショックを受けたという感じです。今までの両団体への印象が崩れていくような気さえしました。「一体何だったんだろう?」私もそんな問いかけを自らにしていたところです。

アーノンクールまたはCMWについては、正直ひどい演奏だと思ったことも数知れずありますし(特にカンタータ大全集の一部の演奏や古いヨハネとか)、ファンをやめようと思ったこともありました(特に80年代後半から90年代前半に大編成になったとき)。それらの演奏は今でもひどいと思いますが、それでも、なんだか愛着がわいてしまい、ついつい聞いてしまうんですね。上手い下手を超越した味わいといおうか、エネルギーといおうか。ひどいと思ったけど改めて聞いて聞いてみるとなかなかいいなって(世間一般にいいと思われるかは別として)。ある雑誌に音楽評論家が「アーノンクールはひどい演奏があるからいいんだ」みたいな極論を書いていましたが、古参ファンの中にはそう思っている人も少なくないのでは。モツレク旧盤がひどい演奏かどうかはともかく、衝撃の演奏であることは間違いありません。当時どうしてもなじめず、一時的なアーノンクール離れの原因になった演奏のひとつでもあります。でも今聞いたら全然違うんでしょうね。なんとも不思議な演奏家です。

ということで、私も最近の演奏に慣れた耳で改めて旧盤を聞いてみたいと思います。

ありがとうございました。

投稿: AH | 2007/01/04 11:12

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