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2006/12/24

BCJクリスマスメサイアモーツァルト版

今日はクリスマスイブ。サントリーホールでは恒例のBCJメサイア。今年はMozart生誕250年ということで、2回目のMozart版メサイアでした。

開演1時間前に会場前をフラフラしていると、いきなり携帯電話片手のマエストロとすれ違い、おおいにあせる。たどたどしい日本語で「期待してます」というのが精一杯。続いて、若松夏美さんとばったり。さらにBCJ事務局の方何人かと立て続けに。。終演後はなかなかお会いできないのですが、早めに会場入りすると結構いろいろなかたがたとお会いできてよいです。

それはともかく、Mozart版を聞くといつも聞きなれているにぎやかな原曲がとてもシンプルでストレートに伝わってくるように感じます。モンテヴェルディ以来のシンプルで劇的な表現に対し、Mozart編曲版は、管楽器セクションを中心にこりにこりまくっている。また、合唱にトロンボーン、オケにホルンが入ることにより、全体がまろやかに、そして弦のアーティキュレーションがより流麗に滑らかになっていることで(デタッシュではなくレガート・スラーが追加されている)、ストレートに迫ってくるところというのはかなり薄まっているかと。そこのところをわきまえた上でBCJが演奏していたからなのかもしれませんが。チェンバロを使っていなかったこともあるかもしれませんが、いつものクロスベルヘンのキビキビ感よりは滑らかさと響きの豊かさが際立っていました。管楽器のオーケストレーションなど、とても聞いていて勉強になります。

英語とドイツ語の違いといえば、冠詞系の違いが演奏にも大きく影響していたかと。「The」とか「A」と「Die」「Das」「Der」などの母音の長さや子音の数というのが、アウフタクトとか付点の後の短い音符の処理に影響を与えていたと思います。楽譜を見ていないのでなんともいえませんが、やはりドイツ語の冠詞のほうが発音するのに時間がかかったり、場合によっては強調しなければならないということで、演奏の仕方も変わってくるような気がしたのですが、実際にはどうなのでしょう?

全体的な印象としては、受難の場面であっても過度に緊迫感を押し出すのではなく、比較的ゆったりとリラックスして聞ける演奏だったと思います。第1部はいかにもクリスマスイブの祝祭的なムードの中で聖母マリアと幼子の幸せに満ちたやさしさのようなものを感じました。第2部は受難ということで、いつもであればかなりの緊迫感が襲いかかってくるのですが(ヨハネ受難曲のように)、教会で礼拝の際に演奏されるのではなく、劇場や貴族の屋敷等で娯楽作品的な要素をはらんで演奏されたということを意識したのでしょうか、聖書の強いメッセージというのを十分に意識しながらも少々オブラートにつつんだ感じがしました。受難の場面であっても、厳しさだけでなく「慈しみ」が感じられる。一方、ヘンデルが単純な2声のオケ伴奏をつけたところにモーツァルトがヴィオラを付加して内声部を充実させたところの響きなどはまったく違和感がなく、モーツァルトに対しても雅明さんに対してもヴィオラのお二人に対しても「さすが」と感じます。編曲するに当たって、伝統を時として大きく逸脱し、信じられないような大胆な管楽器の響きを作りながらながら、一方でトロンボーンや内声部などは伝統を忠実に踏襲しているところがモーツァルトのセンスといおうか引き出しの多さなのかな。聞くのは2度目ですが、とても発見の多い演奏でした。

ソリストはどちらかといえば線が細めではありましたが、とてもきれいに歌っていましたし、4人で歌う部分などはすばらしかったです。ソプラノ1が特に印象的でした。チェリー櫻田さんも、聞くたびに声の豊かさといおうか表情といおうかが変わっていて、こんなに変わるものか、と驚きました。

トロンボーンはモツレクに出ていた人たちがそのまま続けて演奏したのではないかと思いますが、ヘンデルのあのメリスマをよくあれだけ吹けるな、それだけではなく完璧に合唱にあわせたハーモニー。影の殊勲者かもしれません。あたりまえのようにそれこそさりげなく鈴木秀美さんがレチタティーヴォ弾いていましたが、これだけでもずいぶん雰囲気が変わります。やはり何をやっても存在感が違いますね。

気になる点があるとすれば、歌詞対訳。Mozartの大権威、海老澤敏先生のすばらしい訳だったのですが、ドイツ語と日本語の語順が違うために、ドイツ語がわからない人には言葉と音楽の結びつきを聞くのが難しかったのではないかと思われる点です。たとえば3行の歌詞があってドイツ語では最初に出てくる言葉が日本語訳では3行目に出てくるような場合、歌詞を見ながら聞いても、ドイツ語の意味と音楽を結び付けられないのです。大事な言葉だとその弊害は大きいです。たとえば、第3部のソプラノのアリア、英語では「I know」から始まる曲ですが、「私は知っている。~ということを」と訳してくれれば、言語と音楽が結び付けやすいのですが、「~ということを、私は知っている」と訳されてしまい、「~」が3行もあると、何を歌っているのだかさっぱりわからなくなってしまう。雅明さんのカンタータ訳が原語の流れを追ってくださっているというのは、歌詞を見ながら聞くにはとても大事なことなのだ、と改めて気づきました。

1ヶ月前には、この同じ会場でアーノンクールの緊迫感にあふれたメサイアを聞いたのですが、クリスマスイブの気分ではかなり厳しいな、やはり、このくらいリラックスできて楽しめるメサイアがいいな、と思いました。しかし、一方で、ヨハネ受難曲に相通ずる第2部前半のスピード感にあふれた緊迫感というのもまた「受難曲のSuzuki」とBCJで味わいたいという思いもあります。もちろん、クロスベルヘンのチェンバロ入りで。毎年まったく違う顔を見せるBCJメサイア、来年はどうなるのでしょう?

そういえば、ソプラノにあの懐かしい顔、柳沢亜紀さんが久々に登場していました。そしてバスの小笠原さん、浦野さんも久々かもしれません。緋田吉也さんも芳江さんとともに。これから時々登場してくださるのでしょうか?

さて、イブメサイア恒例のアンコールですが、今年は玄人好みの渋い企画。クリスマスオラトリオ第1部(降誕節第1日用)の最後にも使われているルターのクリスマスコラール「高き天よりわれは来たり」をアレンジしたもの(聞き違いかもしれませんが)。私には、シュッツ以来の伝統的なスタイルから始まって、中期ドイツバロックの大作曲家たちの作風、ブクステフーデ、バッハの先祖たち、そして最後はモーツァルトの時代、さらに現代に到達する流れというものを感じました。トロンボーンとVnの使い方にそれを感じたのですが、真相はわかりません。なかなかいい編曲でした。最後にマエストロが振り向いて「Merry Christmas!」と高らかにかつ少々お茶目に叫んだのには笑えました。まさに祝祭気分。

では、私も Merry Christmas!

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