アーノンクールで気付いたこと
アーノンクールについて最近気付いたこと。
的を得ているかわかりませんが。。。
1.オケによってアプローチを大胆に変えている
CMWは古楽器だから当然としても、VPO,BPO,コンセルトヘボウ、ヨーロッパ室内管弦楽団COEで全然違う。それぞれのオケの性格の違い、特徴に応じてかなり柔軟にかつ大胆にスタイルを変えてきている。BPOやCEOはいわゆる古楽器流というのを前面に出し、一方でVPOやコンセルトヘボウにはアーティキュレーションのような根本的なことを除けばあまり古楽器流を強調していないようにも思える。これは楽器によって弾き方も変わる、という古楽器の経験が生きているからとも言えるのではあるが。
2.ビブラートの使い方
1にも関係するが、基本的にノンヴィブラートで装飾としてヴィブラートをかけるというときと(これが普通の古楽の基本)、基本的にはヴィブラートをかけ、ここぞという特別な表現をしたい時にノンヴィブラートを使うという正反対のアプローチを上手く使い分けれいるのではないか。ウィーンフィルは明らかに後者のアプローチをとっていたように思える。
3.ピアニッシモ
ピアニッシモの使い方が実に上手い、そして中途半端ではなく徹底して音量は小さくしかも表情が豊かでものすごい緊張感。これは明らかに古楽器流。ベト7の第2楽章の最初のバスのテーマなどが典型。
4.管楽器と弦楽器
管楽器中心のところと弦楽器中心のところで表情をガラッと変える。同じフォルテでも管楽器が鳴っているときと弦楽器だけの時では音量も表情も全然違う。弦楽器だけの時は少し弱めに表現も繊細で歌うような感じ。ハーモニーセクション(管楽器セクション)の役割を明確に把握し、示しているのではないか。
5.ゲネラルパウゼ
これはすべての楽器が完全に止まって静寂の時がある。その間の取り方といおうか、音がないことで表現しているというところも特徴ではないか。
6.場面の変わり目
ゲネラルパウゼにもそういうところは多々あるが、場面の変わり目というのをかなりはっきり示している。
7.すべての音に意味をもたせている
アーティキュレーションもそうだが、あらゆる音符、休符に意味をもたせている。すべてのパートでただ漫然と流れるということはない。その場面ごとの役割を明確にし、それに応じた表現をしている。
8.極めて知的、論理的ではあるが、一方で非常にロマンチックであるという二面性をもつ。
さて、ベト7やアンコールのベト8第2楽章を聞いていて、かつてのCMWでの名演、ヘンデルの水上の音楽、ヴィヴァルディの四季、そしてビーバーのバッタリアを初めとする冗談音楽、描写音楽の数々を思い出さずにはいられなかった。こうしたものの延長上にベートーヴェンの演奏もあるのだと考えざるをえない。ベト8第2楽章の最後などは、四季にも出てきそうだ。バロックによく出てくるある種の表現そのものである。彼のベートーヴェンはロマン派的であり、かつ極めてバロック的なのだ!
これはあくまでCMW的に見たアーノンクールに関する私の解釈であり、聴く人によって違うと思うが、いかがであろう?
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