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2006/10/28

静かなる無伴奏

今日は、何年ぶりかで鈴木秀美さんのバッハ無伴奏チェロ組曲1,3,5番を聴きました。もう何度も聞いているので、さすがに毎年聞く気にはなれず、久々です。

前に聞いたときは、アンナ・マグダレーナが書いた楽譜を元に演奏し、「新たな発見」の喜びに満ち溢れ、全く今までとは違う像を映し出していたような気がしました。確かにアーティキュレーションが全く違うので、それだけでもかなり新鮮で、そのことを前面に押し出した動的な演奏だったかと思います。

一方、今回の演奏はそれとは正反対。心静かに、もはや「無」に近い状態の中で自然と見えてきたものをそのまま音にしたような、実に静かで安らかな演奏。静寂の中から生まれてきた演奏。無理に楽器を鳴らそうとせず、肩の力が抜けたあくまで自然体。リベラクラシカで指揮をしている時ともまるで別人。解説では、毎回新しいものを見つけて提供しなければならないといったことが書いてありましたが、実際の演奏は「見つける」というよりは「心を無にしたら見えた」なんです。何かがあったのでしょうか?

ということで、静寂で安らかな響きの中で、心静かに寝てしまいました〈しかも秀美さんの真正面で)。ただ疲れてるとか、つまらないからではなく、こういう安らぎの中で眠れるというのは最高に気持ちがよいものです。「バッハの音楽は神聖なんだ、心休まるなどというレベルのものではないんだ」とおっしゃる方がいるかもしれません。でも、彼の音楽に間違いなく安らぎはあります。それは神がバッハを通じて与えた給もうものです。高度な作曲技法を用い、そこに様々な意味、メッセージを盛り込みながらも、安らぎの要素を忘れません。ゴールドベルク変奏曲などはその典型かもしれませんが、無伴奏チェロ組曲もそういう要素があるのではないか。無伴奏ヴァイオリンは技巧が技巧だけに、あまり安らぎは感じませんが、時々そういう曲はありますね。もちろん、安らぎだけではなく色々な曲がありますが〈カンタータはそういうのの宝庫です)。少なくとも秀美さんの無伴奏に関してはもはや技巧をひけらかすようなことは全くない。「旋律楽器であるチェロで多声音楽を演奏している」などという無伴奏の決り文句みたいなものももはや不要。チェロが多声を演奏するのはごく自然で驚くべきことではないし、そのこと自体が感動を呼ぶようなものでもなくなっている。そうやってようやく安らぎを与える演奏になりうるのです。

敢えて誤解を恐れずにいうとすれば、「リュートのような無伴奏チェロ組曲」ともいえるのでは〈実際にバッハはリュート用に編曲しているのですがBWV995)

なのですが、演奏が終わった直後の秀美さんは少々お疲れのご様子。曲が曲だからというのもありますが、考えてみれば今月はレクチャーあり、ホッホランドとの室内楽あり、リベラクラシカあり、そして今日の無伴奏、と考えられないハードさでしょう。楽器も湿気のせいかA線があまりよくならないなど、必ずしもベストのコンディションではなかったようにも見受けられます。ホールのせいもあるとは思いますが。それでも無理せず、やさしく楽器をいたわりながら弾いてホールや楽器の状態にあった音楽作りをその場でできる秀美さんはさすがです。

11月24日には、2,4,6番があります。果たして1ヵ月後にどうなっているか、楽しみです。

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