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2006/01/29

こんな時でもこだわりマタイ

世の中はMozart一色。そんな中でもやってくれました!われらがマエストロ鈴木雅明のレクチャー「マタイ受難曲~初期稿を巡って」。今年4月のBCJ定期公演での演奏を前に、マタイ受難曲成立の経緯と初期稿の中身、さらに今回の演奏でどのようなことを考えているかなど、核心に迫るところを聞くことができました。

その中から2点ほど。

1.なぜ、伝アルトニコル(ファーラウ)の筆者譜の版が、初期稿だといえるのか

 新バッハ全集などでも「アルトニコルの筆写譜」として紹介されている1750年代の筆写譜が、我々がよく知っている1736年版より前の稿(初期稿)らしいとのことですが、どうしてこういうことがわかるのか。そこについては、あまり詳しい話はありませんでしたが、AHが思うに、第2部冒頭のアリア(初期稿ではバス!)+合唱の6小節目および8小節目の1st VN他の音型が、伝アルトニコルのよりも1736年筆写譜の方がより細かく分割されている(装飾が細かい)というところにも、その一端が現れているのではないか。これは、バッハがヴィヴァルディや自身の旧作を例えばチェンバロ用に編曲した場合の装飾の書き方と元の音型とを比較した場合とよく似ているからです。バッハは、装飾音をかなりきちっと書いているほうなので、装飾音のつけ方で年代がある程度わかるような気がしています。1736年というと、コレギウム・ムジクムのためにチェンバロ協奏曲を書き始めていると思われますし、なにやらそういうところの装飾の書き方に似ているのではと感じてしまいます。

2.二重合唱

 今回のレクチャーの一番の骨子は、いわゆる二重合唱への見方です。合唱1と合唱2が対称な関係にあるのではなく、非対称であるという考え方、もう少し具体的に言えば、合唱1がコンチェルティスト、合唱2がリピエニストの集団であるという考え方が説明され、4月の演奏でもそういう考え方に基づくとのこと。

 この考え方を聞いていて、AHは、N.HarnoncourtがHandelの合奏協奏曲作品6におけるコンチェルティーノとリピエノについて述べていることとの類似性を感じずにはいられませんでした。つまり、いわゆるトリオソナタ編成のコンチェルティーノのかたまりと、リピエノのかたまりを分けて、それら異なる役割同士が対話するような配置にするということです。普通は、コンチェルティーノ(ソリスト)各パートのトップの場所に座るのですが、それでは、コンチェルティーノとリピエノの対話が明確にならないので、2つのかたまりに分ける。バッハのマタイ受難曲の二重合唱というのも、コンチェルティスト、リピエニストといった呼び方からもわかるように、同じようなものではなかったのか、と考えるわけです。

 オーケストラと合唱は全く違う考え方で、ということもあるかもしれませんが、少なくとも、バッハの中では、オケも合唱も同じような発想で扱っていたのではないかということがいえるような気がしますし、それがバロック時代的だと思います。そうやって考えながら聞くと、マタイも全く違った姿を見せてくれるのではないかと思います。期待しましょう。

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