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2005/12/03

ポルタメント文化の復活を!

19世紀の古きよきポルタメント文化がこんなところで生きていた!

今日は、珍しくアルゼンチンタンゴのコンサートなど行ってしまいました。歌や踊りの他にピアノ、バンドネオン、コントラバス、そしてヴァイオリンが入っていましたが、このヴァイオリンがいまやクラシック界ではなかなか聞くことのできない19世紀風ポルタメントを多用して色っぽさを醸し出していました。とにかくカッコよくて艶っぽくて泣かせてくれる。

「自分たちは19世紀の伝統の上に生きている」と思っているヴァイオリニスト達でさえ、あの時代のようなポルタメントを使うことはほとんどなく、また、使える人もあまりいないような気がします。そのため雰囲気がずいぶん違ってしまいます。確かにバッハやモーツァルトのような18世紀の曲にポルタメントを多用されるのはいかがかとも思いますが、19世紀後半の曲を当時演奏されていたように演奏しようと思えば、ポルタメントの効果的な使用は不可欠であり、それが「オーセンティック」というものです。20世紀のはじめ頃にまだ生きていた19世紀の巨匠たちの録音を聞くと、それはそれで素晴らしいものであり、現代の演奏はあまりにも味気なくて物足りない。特に中欧、東欧の民族色が濃い曲(ハンガリア舞曲とかチゴイネルワイゼンとかブルッフの協奏曲とかジプシー風の曲とか)は、あまりにも洗練されすぎていて、色気やエネルギーをあまり感じない。

20世紀の巨匠たちの演奏は、19世紀の伝統を受け継いでいるといわれており、それゆえ「正統的な演奏」といわれてきましたが、19世紀と20世紀の間には演奏スタイルといおうか趣味の面で大きな隔たり、断絶があることはあまり認識されていません。しかし、純粋なクラシック界では時代遅れなものとして忘れ去られてしまった伝統が、タンゴやジプシーヴァイオリンのような世界ではいまだに受け継がれている。

これから19世紀の曲を演奏する際には、もっと19世紀の流儀を取り入れてほしいなと思います。

「ポルタメント文化の復活」をできるだけ早く!

とはいえ、歴史的には、MozartがHandelを演奏した時に行った大規模な編曲のように、その時代の感性にあった形で演奏されるべき、というのも無視できない考え方です。メンデルスゾーンの時代の人々のバッハ編曲はどちらかというと非難の対象になりつつありますが、MozartのHandel編曲の場合にはそういう議論はでていません。おいしいところをみんな他の楽器に持っていかれたトランペット奏者が、「つまらない」といって欲求不満になるくらいです。

明日は、寺神戸さんのVivaldi「四季」です。

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